研究紹介

「シリコン結晶中のミュオニウム」

結晶構造の安定性を論じる際、通常は原子核の量子性を無視することができる。 これは原子核の零点振動エネルギーがもともと小さい上に、 異なる結晶構造においてもほぼ同等であり、 構造によらない定数シフトとしてしかエネルギーに寄与しないためである。

ところが水素ほど軽い原子の場合、 零点振動エネルギーの典型的な大きさは0.1eV以上にもなり、 量子効果による核の分布関数の広がりは熱分布よりも大きくなる。 水素結合型誘電体の構造相転移にみられる大きな同位体効果は、 そのような原子核の量子効果が結晶構造安定性に影響した、 典型的な例と見ることができよう。 高圧物理の実験家は過去60年以上にもわたり、 金属水素の実現に向けた固体水素の超高圧圧縮という 「聖杯(Holy Grail)への旅」を続けてきた。 この固体水素も、当然ながら原子核の量子効果が重要な系であり、 構造相転移に明確な同位体効果が観測されている。

図:シリコン結晶中のミューオニウム では結晶中に不純物として入った水素原子は、 量子性によってどのような影響を受けるだろうか。ここでは、 シリコン結晶中の水素原子とミュオニウムの量子効果を計算機シミュレーションから議論する。

シリコン中の不純物水素は応用上の興味から詳しく調べられているが、 内殻電子をもたない水素原子には分光学的な手法が使えず、 直接観測するのが困難である。そこで原子状水素不純物の研究には、 陽子と同じ電荷と1/9の質量を持つ正ミュオンを代用品として結晶中に注入し、 その崩壊の様子から不純物に関する情報を得るμSR法が使われてきた。 その結果、現在ではシリコン中のミュオニウム(ミュオンが電子を捕獲して水素原子状の中性状態になったもの)には、 次の二つの安定状態があると考えられている。 また実験的には前者の方がやや安定であるといわれている。 過去の理論計算の中でもっとも信頼性が高いと思われる局所密度汎関数法の結果によれば、 BCサイトはミュオニウムが感じるポテンシャル面の最安定点であるが、 Tサイトは極小点でないばかりかBCサイトとの間に活性化障壁がない。 すなわち、正常ミュオニウムの実体は、理論的には説明されていないわけである。

そこで我々は、一般化密度勾配近似(GGA) の密度汎関数法を用いてポテンシャル面の再検討を行った上で、 核の量子効果を有限温度で取り入れることのできる第一原理経路積分分子動力学法を用いて、 正常ミュオニウム/水素原子のシミュレーションを行った。その結果、 正常ミュオニウムの分布が、 原子核が軽いときにのみ現れる量子分布であることが明らかになった。

[1] T. Miyake, T. Ogitsu and S. Tsuneyuki, Phys. Rev. Lett. 81, 1873-1876 (1998).
[2] 三宅 隆、荻津 格、常行 真司 「日本物理学会誌」1999年3月号.


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