結晶の色や形、電気特性、磁気特性といった物質の性質は、たくさんの電子や原子が集まって初めて生まれる性質です。量子力学や統計力学といった物理学の基本原理から、これらの性質を理解し、未知の物性を予測・解明したいと考えた時、コンピュータシミュレーションが大きな力を発揮します。今や物性物理学の研究に欠くことのできないコンピュータシミュレーション、私たちはその中でもとくに「第一原理電子状態計算」と呼ばれる手法を用いて、物性物理学の理論研究を行っています。
第一原理電子状態計算は、実験データに合致した答えが得られるように理論モデルのパラメータを調整するのではなく,物質を構成する原子の原子番号や質量数などの基礎的情報と、量子力学の基礎方程式から出発して、物質の構造物性や電子物性を非経験的に計算する手法です。実験や観測が難しい原子レベルでのダイナミクス、固体中の欠陥や微量不純物が生み出す物性、実験室での実現が困難な超高圧下の結晶構造、自然界には存在しない新しい物質や材料、次世代半導体素子やナノサイエンスの基礎研究など、第一原理電子状態計算の応用範囲は大きな広がりを見せています。
もちろん第一原理電子状態計算は万能ではありません。第一原理から出発して多体問題を数値的に解くには何らかの近似理論が不可欠です。その近似によって計算結果の信頼性・精度には限界が生じます。計算する系のサイズも、無制限に大きくできるわけではありません。複数の時間スケールを含むダイナミクスのシミュレーションは、さらに難しい問題です。信頼性・精度、サイズ、ダイナミクス、この3つの方向での手法開発は、この分野の基礎研究における重要な研究テーマです。
また近年では、計算機シミュレーションとデータ科学的な手法を組み合わせる、マテリアルズインフォマティクスへの期待が高まっています。ハイスループット計算を使ってより高性能な材料候補を探すことに加え、たくさんの計算結果から物性を左右する主要因を見つけ出すことにより、物性科学への貢献も期待されます。

私たちは第一原理電子状態計算手法を利用して、固体表面反応、高圧下の物質相、生体分子、強誘電体、固体中の不純物水素などの物性研究や、新しいデバイス材料の理論探索を行う一方、これまでの計算手法では取り扱うことのできなかった物質群や物性のシミュレーションを目指して、新しい第一原理電子状態計算手法の開発を行っています。例えば、高温超電導体のような電子相関の強い系を正しく取り扱うための相関波動関数を用いた電子状態計算手法と、原子間相互作用の非調和性を定量的に扱うことで熱電材料やナノ構造体の熱伝導の第一原理に基づき計算する手法は、広い応用範囲の期待できる新しい手法として、開発に力を入れている手法です。
化学、地球惑星科学、生物学など異分野との境界には、 物性物理学としては未開の広大な領域が広がっています。物性物理学の考え方や知識を使って、エネルギー問題や環境問題といった社会的課題の解決に役立つ新しい物質・材料を開発することも、これからの重要なテーマです。私たちは原子論・電子論に基づく計算機シミュレーションを使って、
物性物理学の観点から、そのような新しい領域を開拓したいと考えています。
常行真司
2019.4.1(改)
第一原理計算についてもっと知りたい方は、下記の拙稿をご覧ください。
「シリーズ 計算物理」第2回(パリティ 2006年5月号)、第4回(同7月号)、第6回(同9月号)、第8回(同11月号)、第10回(パリティ 2007年1月号) 、第12回(同3月号)
これまでの研究テーマ(太字は2019年3月現在進行中)
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■計算手法開発
古典分子動力学法
(圧力一定)第一原理分子動力学法
第一原理経路積分分子動力学法
変分モンテカルロ法 マルチカノニカル法による構造探査
トランスコリレイティッド(TC)法(波動関数理論に基づく電子状態計算手法)
FMO-LCMO法(Fragment MO法による1電子エネルギースペクトル計算)
波動関数法のための擬ポテンシャル開発
第一原理分子動力学法を用いた一般化非調和格子振動モデルの導出と,自己無撞着フォノン法を用いた格子熱伝導率,熱膨張率計算
超伝導転移温度の第一原理計算
Divide & Conquer法に基づく全系電子スペクトル計算(LCFO法)
TC+DMC法
応答関数の計算に適用可能な、ブリリュアンゾーン積分のための改良テトラヘドロン法
NMRの空間分解解析手法
データ同化手法を用いた結晶構造探索
相対論的DFT
その他
(右上図:トランスコリレイティッド(TC)法と他の手法で計算された半導体のバンドギャップ,右下図:回折データを利用して構造探索を加速するデータ同化手法の模式図)
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■新材料、エネルギー変換、エネルギー貯蔵
太陽電池材料の深い不純物準位
電気二重層キャパシタのヘルムホルツ層
熱電材料
超伝導材料
磁性材料
ペロフスカイト型酸化物中の水素の状態
磁石材料粒界の構造、電子状態、磁気異方性
オキシハイドライド(酸水素化物)新規誘電体
クラスレート化合物
金属水素化物
(右図: 2次元電子系を有する新規誘電体 KTiO2H)
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■光励起
半導体中のポリエキシトン(励起子分子)
光記録材料の構造変化
非熱的レーザー加工
(右図:アブレーション深さのレーザーフルエンス依存性)
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■高圧下の物性
SiO2(シリカ)の結晶構造
グラファイト-ダイヤモンド転移 (mp4ファイル 2.6MB)
BC2Nヘテロダイヤモンド合成
シリサイドの高圧構造
Li-GIC (Graphite Intercalation Compound) の新しい高圧相
SnI4の原子状高圧相
C60ポリマー
固体水素の超高圧相
AlOOHの高圧相
B2H6の高圧相
YH3の圧力誘起電子相転移
C60の3次元ポリマー
C60ハイドレート
HxS(硫化水素)高温超伝導体の高圧相
(右図:Li@Diamond = Li-GICの仮想高圧相)
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■表面・界面物性
表面イオン散乱における電荷移動とバンド効果
遷移金属表面への二原子分子(NO, CO)吸着と光刺激脱離
ハロゲン吸着によるシリコン表面エッチング
層状化合物NbSe2のCDW シリコン表面への有機分子吸着 半導体結晶粒界の電子状態
Cu表面へのN原子吸着と自己組織化
Si表面の酸化
Ni表面のSO2分子
SiC表面のSiON絶縁膜
窒化物半導体およびその界面の構造と電子状態
AlN/MgB2界面のスピン分極
Graphene/窒化物界面の構造と電子状態
電解質溶液中の電極に形成される電気二重層
磁石材料粒界の構造、電子状態、磁気異方性
表面構造探査
(右図:N/Cu(001)自己組織化構造のシミュレーション結果とSTM観測像)
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■固体に見られる原子核の量子効果
水素結合型誘電体(KHS)の同位体効果
シリコン中の不純物水素/ミュオニウム
固体水素
(右図:第一原理経路積分分子動力学法で見た固体水素の原子核分布)
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■誘電体
量子常誘電体SrTiO3のキャリアドーピング効果
新しい強誘電体材料(東工大との共同研究)
ペロフスカイト型酸化物中の遷移金属不純物(太陽誘電(株)との共同研究)
ペロフスカイト型酸化物中の電子ドープによる構造変化(同上)
ペロフスカイト型酸化物中の酸素欠陥と不純物H-(ヒドリド)(同上)
オキシハイドライド(酸水素化物)新規誘電体
(右図:BaTiO3中の不純物水素と電子分布)
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□生体物質
タンパク質の電子状態解析
(右図:新開発のFMO-LCMO法で計算した擬グリシン5量体のエネルギースペクトル) |
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■液体中の化学反応
金属錯体の還元反応メカニズム
(右図:異種金属三核錯体Rh-Mo-Rh) |
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