これまで見つかった高温超伝導体のほとんどは,典型的なフォノン媒介機構では説明がつかないとされている.一方で,すでにある程度確立したフォノン媒介超伝導理論にもとづき新たな高温超伝導体を探すという試みも多くの人々によりなされてきた.フォノン超伝導を良く説明するBCS公式によれば,超伝導転移温度Tcは電子クーパー対形成を媒介するフォノンの振動数に比例して大きくなる.フォノン振動数は振動に参加する原子の質量の平方根に反比例することから,原子質量の軽い水素の化合物からフォノン媒介高温超伝導体が見つかるはずである.以上のシナリオに従い,多くの候補物質が理論的に提案されてきた.しかしそれらについて実験的合成を試みても,多くの場合は水素が解離してしまうため,水素のフォノンをクーパー対形成に参加させることが出来なかった.
2014年12月,ありふれた物質である硫化水素H2Sを極限まで圧縮し,冷却すると190K程度で超伝導を示すという実験的報告がなされた.これは従来のフォノン媒介機構の転移温度レコード(40K: 二ホウ化マグネシウム)のみならず高温超伝導のレコード(160K: 水銀系銅酸化物)をも塗り替える記録であり,大変興味深い.しかし,高圧下での超伝導相の結晶構造は原理的に実験的観測が難しいため,実際にどのような構造が高温超伝導をもたらしているのかは未解明である.
そこで我々は,圧力下において理論的に提案されてきた様々な構造を入力とし,それらがどの程度のTcをもたらすのかを第一原理計算によりシミュレートした[1].用いた計算手法は超伝導密度汎関数理論(「超伝導転移温度の第一原理的予測」)に基づく. 結果,従来の硫化水素H2Sの固体相では実験の最大値の半分以下のTcしか実現しない一方で,H3Sの特定の固体相が実験値に近いTcを実現するという結果が得られた.シミュレーションにより得られたTc最大値は実験値より数十%高かった.純粋なH3S固体の合成に成功し,圧力条件をうまく調整すれば観測可能なTcはさらに上昇するかもしれない.現在我々はフォノンの非調和効果や水素原子のゼロ点振動の効果などを取り入れた精密計算を試みており,事象の解明とさらなるTc上昇の可能性を模索している.
[1] R. Akashi, M. Kawamura, S. Tsuneyuki, Y. Nomura, and R. Arita, "First-principles study on crystal structure and pressure dependence of superconducting transition temperature in compressed sulfur hydrides" accepted in Physical Review B.